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ひみつのねがい

あれから少しの時が過ぎて。
子供の腕はあの大きなくまを抱きかかえられるほどに伸びた。
彼は子供に与えた剣の扱いを教えていた。
決してそれが力だけのものにはならないように、騎士の心をも継いでもらいたいと、常日頃から同僚に話していた。
そしてそれは十二分に子供にも、子供を取り囲む騎士たちにさえも伝わっていた。
騎士たちは手が空けば我先にと子供の相手を買って出て、各々得意な技を教えたものである。
子供は素直で賢く、幼いながらに大人たちでさえはっとするようなこともしばしばあった。
痩せていた身体も鍛えられ、子どもから少年への過渡期を迎えていた。

そうして、今年もまた降誕祭の時節を迎えていた。
彼の同僚達は去年のことを覚えていて、彼に——いや、正確には皆で可愛がっている子供のために、降誕祭当日の休みを譲ってくれた。
去年は一人ぽっちで留守番をさせてしまったから、今年は一緒に出かけようと言うと、子供は大層喜んだ。
降誕節の初日、絵の得意な騎士が描いてくれたアドヴェントカレンダーの日付に星の飾りがついた白銀のピンを刺しては、あと20日、あと10日…と声を弾ませた。

こまどりが咥えた、『25』の数字が描かれたベルに星飾りのピンを刺して、子供はとうとう降誕祭の日が来たとはしゃいだ。
この家に来るまでに余程のことがあったのだろう。
滅多に喜びも哀しみも見せようとはしない。
その顔に笑みが浮かぶのを見て、彼もまた厳つい顔を綻ばせた。
気もそぞろに朝食のパンを齧るのを窘めるが、どうしても顔が緩んでしまう。

質素なコートを着せて、いつもそうするようにマントで寒風から護ってやりながら愛馬を駆った。
いつも通るその道も、今日はまるで違って見える。
やがて城砦が近づき、跳ね橋を通って城門を抜けた。
普段なら騎乗のまま入っていける街も、人々でごった返す今日は下馬せざるを得ない。
厩舎に馬を繋ぐと、去年は一人で悩み眺めたマルクトへ、二人で歩いて行った。

王都コーネリアの、その豊かさを誇示するかのように、この年のマルクトもまた華やかなものであった。
透明なびんいっぱいに詰められた、大きさも色もとりどりの硝子玉、ゆらゆらと揺れる鳥や魚、木の葉のモビール、カタカタと坂道を歩いて降りる木でできた馬。
子どもたちが喜ぶよう、焼き菓子には色粉を混ぜた砂糖ごろもで聖人や星が描かれ、大きな金属製のポットからは芳しいショコラ・ショーの香りが漂う。
繊細な銀の飾りを幾つもぶら下げた店、その隣では優しげな老婆がうさぎの耳がついたミトンに、子どもが好きな色でイニシャルを刺繍して、注文をした紳士に手渡している。
ぴったりと作られた木のパズルに、絵が立ち上がる絵本。
子供にとっては全て初めて目にする、あまりにも煌く世界——いつの間にか、しっかりと握り締めていたはずの彼のマントを手放してしまっていたとしても、誰が子供を責められようか——



子供は彼の名前を呼んだ。
けれども、大陸屈指の街で小さな子どもの声は簡単にかき消されてしまう。
泣き出しそうになるのを必死で堪えて、子供は歩き出した。
彼と会えなくとも、誰か自分を知る騎士がこのあたりを見回っているかもしれない…そう考えて、道を彷徨う。
その時、馬の嘶きと馬蹄と石畳が奏でる独特の音に気がついた。
馬に乗る者全てが騎士ではないが、可能性はある。
子供は必死に人をかき分けて音を頼りに歩を進め、一際大きな通りに出た。

そこで見たのは、黄金の装飾に飾られ、コーネリア王家の紋章を掲げた八頭立ての馬車。
そしてびろうどのカーテンがついた窓から民衆に手を振る少女…真っ白な肌、伏し目がちの大きな翠石の瞳は長い睫毛に縁取られ、結い上げられた金糸の髪には王族の証である銀と真珠で作られたティアラを戴いていた。
神を、そして王室を讃える聖歌隊の歌声が流れる。
王宮の一角、硝子の温室で作られるという薔薇が馬車の窓辺を彩っていたが、それらが目に留まらない。
少女——コーネリア王の愛娘、セーラ姫の美しさはまだ幼いながらに際立っていた。

『ご覧になりまして?セーラ様のお美しいこと…!』
『とてもお優しいのだとか…』
『その上、国王陛下も驚かれるほどにご聡明であられると…』

豪奢な毛皮をこれ見よがしに纏った貴婦人たちの声が、自分が迷子であることも忘れて華美な馬車を目で追う子供の頭上を行き過ぎる。

『ご成人の折にはどうなさるのかしら…』
『陛下はセーラ様に相応しい方を王室にお迎えして、お世継ぎにとお考えだそうよ』
『まあ!どなたを…』

続いた彼女らの言葉と笑い声に、子供は己が耳を塞いだ——



彼は、子供の手に合うミトンを買ってやろうと、編み物を扱う店に目を留めた。
そこでしっかりと硬く、大きく編まれた大人用の手袋を見つけ、騎乗用に良いだろうか…と試しに嵌めてみた。
彼の手は何しろ大きく、サイズが合うものがあることは稀である。
これなら良いだろう、と思い、次に子供の手の大きさを見てやろうとして視線を落とし——そこで漸く、自分のマントの端を掴んでいたのが見知らぬ子どもであったことに気がついた。
その子どもは彼と目が合うなり、親でないことを知って泣き出した。
手袋を売る老婦人に慌てて押し付けたのは白金貨だったかもしれない、お釣りがどうとか言っていたような気がした。
泣く子からどうにか名を聞き出し、なりふり構わず大声に親を呼ばわって見つけ、頭を下げる若い夫婦の言葉も最後まで聞かずに、今度は子供の名を叫んだ——



数刻の後、彼は漸くマルクトのはずれ、聖コーネリウスの像の下に蹲る子供を見つけた。
子供も、掠れかけた声で自分の名が叫ばれるのを聞いて、ぱっと立ち上がる。
駆け寄ってくる子供の顔は真っ赤ではあったけれども、それは寒風に晒されたからであって泣いたからではないようだった。
しかし、手を離しては駄目だろう、若し誰かに…と続けようとして、声が途切れた。
どん、と小さな身体ながら勢いのままに抱きつかれたのだ。
そして、何より彼の言葉を詰まらせたのは、子供の目から零れ落ちた涙である。
同じ年頃の子どもらのように泣きじゃくるのではなく、氷色をした瞳でじっと彼を見つめたまま、はらはらと大粒の涙を流していた。
人目も憚らず、彼は子供をしっかりと抱き締めたけれども、一度流れ出したものは長いこと、止まることはなかった。

その後で、彼は子供を連れて改めてマルクトを見て回ったが、子供は何かを欲しいとは一言も言い出さなかった。
ただ黙りこくって、ぎゅ、と彼のマントの端を握り締めている。
再び、編み物を売る店の前まで戻って来て、いくらミトンを買ってやろうと言っても首を横に振るだけ。
それならマフラーは、と言うとようやく子供は頷いた。
彼から貰った大切な名だと言うと、店の老婆は微笑みながら美しい蔦文字で子供の名前を刺繍してくれた。
ふかふかとして肌触りのよいそれを首に巻いてもらってやっと浮かんだ小さな笑みに、彼は安堵の息を零した。
焼き栗や揚げ菓子を頬張り、子供はショコラ・ショーを、彼はグリューワインを飲んで暖まって。
二人は喧騒を離れ、馬を預けた街外れの厩舎へと向かっていった。

子供は赤く、冷たくなった自分の手を擦り合わせながら、ふぅふぅと息を吹きかけていた。
それを見た彼は、だからミトンをと言ったのにと苦笑しつつ、自分用の大きな手袋を取り、子供の手に嵌めさせようとする。
だが、片手につけてやったところで子供はいい、と首を振った。そうして、手袋を嵌めていないほうの手を彼の手に伸ばし、指に指を絡めて。
こっちのほうが暖かい、何故だか酷く真剣な声音で言うのだった。


——彼はその夜、腕の中の子供が寝付けずにいたことも、親友であるくまに『ずっと二人でいられるように』と聖夜の願いを呟いていたことも——知らない。


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