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A very merry unbirthday


今日は最悪の日だ。

——そもそも今日は非番だったのに、昨日読んだ報告書にサインをし忘れたかもしれない…ふ、とそんなことを思ったのが間違いだった。
折角の休日、あの人にいつもより手の込んだケーキでも焼こうと材料を揃えておいたのに、あの報告書のことが気になって気になって仕方がない。

団長とぼくたち四人の隊長が閲覧することになっていた書類は、明日の仕事に関わる内容だった。
もしサインが漏れていたら、ああ見えて几帳面で繊細なジュロが心配するだろう。
ちゃんと読んだか、とわざわざ騎士団寮にまで立ち寄ってくれるかも知れない。
彼の『カーチャン』が待つ家は、寮とは反対側だ。
…何故知っているかというと、時々『カーチャン』がぼくを夕飯に招いてくれるからだ。
ぼくは『カーチャン』とは彼を生んだ『母親』という意味だと聞いて最初は酷く驚いた。
何しろ、大柄なジュロの腰ほどまでしかない。
そして、寡黙な彼に対して彼女はよく喋る。(あれを上回るのはアークしかいないんじゃないかと思う)そうしていつも
『相変わらずちっこいねえ、ほそっこいねえ。ほら、たーんとお食べ、たーんと』
…を繰り返すのだ。ジュロに比べたら誰だって小さいと思うけど、不思議と彼女からちっこい、と言われることは嫌ではなく、寧ろ居心地のいい空間ごと好意を持っていた。

…ともかく、書類の置いてある城内の執務室に行けば良い。戻ってきてから、のんびりとケーキを焼こう。
…あの人のことを考えながら菓子を作る、という日課はここに来て出来た。
ここへ来てすぐの頃、ぼくがまだ年若かったからか皆、よく菓子をくれた。
特にトウキは妻が作ったものだ、としょっちゅう持ってきてくれた。
しっとりとしてレモンの香りのするマドレーヌ、干したプルーンを刻んで混ぜたカップケーキ、アーモンドの香りのするクッキー、濃厚なチョコレートの味がするフィナンシェ…これまで甘い菓子など口にしたことのなかったぼくは、初めて何かを『美味しい』と思ったものだ。
食べるということは、生きていくために必要な『作業』であって『楽しみ』ではなかった。
(この件について、ぼくはずっと損をしてきたなと思う。)
やがてぼくは、何をどうしたらこんなに美味しいものが出来るのだろうと興味を持った。
本を買い、トウキの奥さんに教えてもらったりもして、今では、何も見なくとも作れるほどになった。

そんなことを思い出しながら、すっかり慣れた道を辿るうちに城門が見えた。
…すると、いきなり警鐘が鳴り響いた。
あの鳴らし方は『城内ニ侵入者アリ』…侵入者の脱出を阻むため、門は素早く閉ざされた。何事が起こったのか。
門番を介している暇は無い——壁を乗り越える。
ぼくにとって、門を潜るのと大差ない動作だった。
ぼくは前にこの城に侵入したことがある。
この任に就いてから、完璧なように見える警備のどこが手薄か幾つか指摘した。
…それでも、立地や構造上どうしても死角が出来てしまう。
そうした場所を熟知しているから、きっと侵入者の捕縛は易いだろう。

けれども、思っていたよりずっと事件は複雑だった…姿の見えない侵入者を探して皆躍起になっていて、その中を動くのは思っていたより難だった。
結論から言えば、侵入者は一人ではなく、数人が紛れこんでいた。
そして彼らはガイアから来た者たち。
…そう、かつてのぼくのような存在だった。
なんでも、ぼくが非番の時、ぼくの隊がどれだけ動けるかを見定めようとしたらしい。
…全く意地が悪いといおうか、『らしい』といおうか。
結局彼ら全員を城壁から城までの間に捕らえてしまったから、あまり試みはあまり意味をなさなかった。
そうして、久しぶりに顔を会わした長老になんだかんだと話をされる羽目になった。

…前はなんとも思わなかったのに、『一番隊隊長』の肩書きを得てこの国で暮らすうち、ぼくの気質は変わってしまったらしい。
あの人はぼくをとても気遣ってくれた。いつも言葉をかけてくれて、過保護なのではないかと思うくらいに構ってくれた。
ぼくたちは名目上、王国の騎士ではあったが、心の奥底で忠誠を誓っているのは団長だ。
そのことを誰かが口に出して言うと、あの人はちょっと困った顔をするのだけれど。
でも、彼だってぼくのような存在にまで手を差し伸べるし、ただ王家のみを護ろうとしているようには思えない。
守護しようとしているのは国家ではなく民なのだ。そんな存在だからこそ、皆が付き従うのだろう。
月日が流れ…すっかり、ぼくの居場所はあの人の下、日の当たる場所であって、長老の手の内、昏い世界ではなくなっていた。
それなのに陰鬱な話をあれこれ、長々と聞かされて、精神的に疲弊しきっていた。
『今日は休みだったのに、最悪だ…』
こんな思考自体、ぼくが変わったことの表れだろう。
休み、などというものさえずっと持たなかったのだから。
ぼくはガイアの者の中でも幸運なのだ…と気を取り直そうとしたけれど、なんだか妙に落ち込んでしまっていた。

疲れた足取りで漸く寮に辿り着く。
今日は鉄錆のにおいは持ち帰らなかったけれども、僅かな汗さえそう遠くない過去を思い出させる。
湯を使ってさっぱりと洗い流した後、気分転換をしようと材料を持ってキッチンへ向かう。
すると…『立ち入り禁止』の張り紙が張られていた。
共用のキッチンを誰が、と珍しく苛立ちを感じてドアノブに手をかけたが、びくともしない。
鍵をかけているのかと思って解除を試みるも、全く動くことはなかった。
…ぼくは元々、魔法の鍵であってもある程度のものなら開けられる。
アークから、特殊な魔法を付与したピックをもらってからは余程高位の魔術が施されていない限りは難なく開けた。
それが開かない。わざわざ寮のキッチンなんかにこんな強固な鍵をかけるのなんて——
「…アークが…なんで寮に…」
彼は図書館の近くに一人で住んでいるはずだった。
わざわざ寮のキッチンに、しかも鍵までかけて何を作っているのか。
自室での実験だけに飽き足らなかったのか、手狭になったのか。
私物として置いている鍋に『錬金術』の材料として何か気味の悪いものでも放り込んでいなければいいけど。
「はぁ…」
窓の側へ回ったところで同じことだろう。
下手をしたら結界も張っているかもしれない。
ぼくは肩を落とし…諦めることにした。

今日は最悪の日だ。

昔のことを思い出すことになって、その上気晴らしさえも許されない。
…もう眠ってしまおう、とぼくは思った。
まだ夕方にもなっていないし、夜中に目を覚ますことになるのだろうけれど、とにかく今は意識を閉ざしてしまいたかった。
それに、その頃ならキッチンも空くだろう。
どんな惨状になっているかわからないけど。自室に戻ってベッドに倒れこむと、ぼくは目を閉じた。

けれど、暫くして部屋を喧しくノックする音で目を覚ますことになった。
一体もう、今日はどこまで酷い日なのだろう。
いないフリをして毛布を頭まで被ったけれど、ノックは止まない。
「イーチーイーっ、いっるんやろー」
…その声、気が抜けるのに戦慄する変な節のついたメルモンド訛りにぼくは観念するしかなかった。このまま居留守を決め込んでいたら、アイツは魔法で鍵を開けて中へ入ってくるに違いないのだ。
重たく感じる身体を起こし、扉を開ける。
「やっぱりいるんやんかー…あれ?寝てたん?具合でも悪いん?」
「…ちょっと横になってただけだよ」
そう答えると、アイツは八重歯を見せてにぃーっと笑った。
…良からぬことを考えている笑い方だ。
「ほな、ちょっとおいで」
…彼についていくような気分ではなかったけれど、それ以上に断る気力すら残っていなかったのだと思う。
ぼくは返事もしないで、ぺったぺった音を立てて歩く寝癖頭の後ろをついて行った。

向かった先は、なんとなく想像がついていたけれど、先程彼が篭っていたキッチンだった。
今日は一体何を作ったというのだろう。
煙を噴く竜の置物だとか、カタカタ踊る骸骨の玩具だとか。
投げつけると魔法に似た効果を発する牙だとか…魔法の研究と称して、いつも意味の解らないものを作ってはぼくに見せるのだった。
全くそうは見えないが、かなり年上であるアイツからすれば、年下のぼくはそういう話に付き合わせるのにちょうどいいのだろう。
…とりあえず話が短く済めばいい、と聖コーネリウスにでも祈りたいような気分だった。
…ぼくは信仰してはいないけど。
でも、後になってぼくはちょっと古い聖人を信じてもいいか、などと調子のいいことを考えた。

だって。

キッチンの調理台の上にはローストチキンに三本分を使って並べてあるバケットサンド、その横には魔法で作ったらしい、赤と青と緑の炎が溶かしたチーズを満たした小鍋を温めている。
傍には串と茹でたポテトに緑も鮮やかなブロッコリーにベビーキャロット、熱々に茹で上がったばかりのソーセージ。
ガラスの器いっぱいに綺麗なミモザサラダが盛り付けてあって、皿と皿の隙間はキャンディやチョコレートやマカロンでびっしりと埋めてあった。
そして、そのテーブルの周りには団長と■■、ジュロと、トウキ。最初は何の集まりかわからなかった。
でも、あの人が笑って、言う。

「今日はイチイの誕生日だからな」

…ぼくは目を瞬かせた。
ぼくは自分の誕生日を知らない。それを不幸だと思ったこともない。周りも全員がそうだったから。
一体どういうことなのかと微妙な表情をしていたら、ジュロが口を開く。
「イチイがここに来て、ちょうど今日で一年なんだろう?」
「…今日じゃない。昨日…二十日だったんだけど」
言ってから、ぼくはすぐさま後悔した。どうやら彼らは、誕生日のないぼくのためにここへ来て一年の祝いをしてくれるつもりのようだ。
なら、ここは嘘でもそうだと言えば良かったのだ。
「アーク…お前が今日だって…!」
「え〜…今日が二十日やったんちゃうん…」
「今日はもう二十一日だ!」
「…あ!そうや、水にずっと潜っていられる魔法のことを考えてて一晩徹夜してたわ!そこで日付がずれたんや…!」
ジュロにがくがくと揺さぶられているアークに、それでも申し訳ないと思った。
…さっきここに篭っていたのは、この用意をしてくれていたのだ。
「どうするんだよ…一日早いならまだいいが、遅いなんてお前…!」
「せやかて…」
困ったように寝癖頭に手をやっているアークと、頭を抱えるジュロと、おろおろと事の成り行きを眺めているしかない団長にきょとんと成り行きを見守っている■■。
その時だった。
ヴァイオリンを手にしたトウキが、軽快な曲を演奏し始めた。
「あ…わてこの歌知ってる!『Unhappy birthday』や!」
「Unhappyでどうする…!『Happy unbirthday』だろ…!!」
ジュロがすかさずアークをはたく。
…相変わらず見事な掛け合いだなあと思う。
こういうのをメルモンドでは『ボケ』と『ツッコミ』と言うのだとなんべんもなんべんも聞かされた。
こういう話術が出来るようになって初めて一人前になるらしい。
…やっぱりよくわからない国だ。
「誕生日じゃない日おめでとう〜♪」
調子はずれの歌がヴァイオリンの音を邪魔し始めたけれど、さっきまで鬱々としていたのに今度は可笑しくて仕方なくなってきた。
トウキの演奏を喜んで、大きな瞳を瞬かせていた■■が手拍子を打ち始める。
「なんでもない日を祝おう〜♪」
アークがどこからか巨大なケーキの乗ったトレイを取り出してぼくの前へ持ってくると、クリームで立ててあった小さな蝋燭にいきなり火が点いた。
「さあ、蝋燭を吹き消したら願いが叶う〜…♪」
さあさあと、顔にクリームがくっつきそうなほどケーキを近づけられて、ぼくは困ってしまった。
一体これは何の儀式なのか。
「ケーキの蝋燭を一息に吹き消せたら願いが叶う、と言われているんだ」
どうしていいか解らずにいるぼくに、あの人は笑ってそう教えてくれた。——願いが叶う…?

もう一度この部屋を見渡した。

ヴァイオリンを奏でるトウキ、■■と一緒になって手拍子を打つジュロ、歌いながらケーキを掲げるアーク——そして微笑みを投げかけてくれる団長。
何かを願うことなんて無かった。
無くして困るものも何一つ持たなかった。
けれど、これからは。『ケーキの蝋燭を一息で消したら願いが叶う』…馬鹿馬鹿しいなんて、思わなかった。
もし、本当に願いが叶うなら——

ぼくは想いを篭めて、ケーキの炎を吹き消した。




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