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ゆきのちかい


その年ももう終わりに差し掛かったある日のこと。

誉れも高きコーネリア王国騎士団、中でも特にその名を馳せる四人の隊長が難しい顔をして腕を組んでいた。暫しの沈黙の末、それぞれに意見を述べる。

「ぼくは前日、お菓子を作るので忙しい」
「…わて、当日昼間はちょい野暮用があんねんや〜…遅番はやるけど早番はあかん」
「遅番でなければそれで」
「俺は前日から通しでもいい…しっかり働いといでと、カーチャンに言われた」

——数年前、彼らが敬愛する団長の腕に抱かれてやってきた子供。
聞けば、親もなく、あまりに酷い仕打ちを受けた衝撃からか、一度、生死を彷徨うほどに衰弱したためか。己の名さえ持ってはいなかったと言う。
…生を受けてから幸福とは縁遠かったであろう子供に、せめてこれからは年相応の幸せな日々を送らせてやりたい。
団長はもとより、彼に仕える四隊長もまたそう願った。
それからというもの、今まで祝祭の休みをずっと部下に譲り続けてきた『彼』に、全員で押し付けるように休みを取らせるようになったのだった。
代わりに誰が勤務するか、ということになっても大体が全員の利害は一致していて、微調整はあれど話し合いはすぐに終わるのが常である。

最初の年は早番にしておいたらその日の夕方に緊急事態が発生してしまった。
それで次の年、当日を休みにしたところ、マルクトで迷子にさせてしまったらしい。
更に次の年、矢張当日は休みだったが前日の勤務で負傷し、祝祭どころではなくなった。
そこで彼らはとうとう、前日、当日と『団長』の欄に大きく×を書き込んだのである。


祝祭前日の昼間、仕事の無い騎士たちの多くは行き着けの酒場を貸し切って、一日早く祭り気分を楽しんだ。
いつもの木製の質素なテーブルも、白と赤と緑のクロスが重ねられ、甘く香る蜜蝋のキャンドルが幾つも燈る。
もみの木には顔ほどの大きさがあるジンジャーマンやチョコレートがぶら下がり、魔法仕掛けの硝子の珠が七色の光を発していた。
りんごとベリーで作った、真っ赤なクランブルに、ぎっしりミンスミートを詰め込んだパイ。
チョコレート味の丸太を模したケーキ、野菜を詰めて焼かれた七面鳥。
焼き立てのプリッツェルが並び、ソーセージロールからはたっぷり練りこまれたバターが香る。
大きな硝子の器には果物を閉じ込めた氷を浮かべたクランベリージュースと炭酸水を混ぜた飲み物。
鍋いっぱいに作られたグリューワインからはスパイスのいい香りが漂って、祝祭の気持ちをより浮き立ったものにしていた。

賑やかに食べて飲み、歌い踊る騎士たち。その中には子供を連れた団長の姿も混ざっている。
この数年のうちに、子供は或る意味、『彼』一人のものではなくなっていた。
騎士たちはそれぞれに、団長の手が空いていない時に子供の面倒を見る。
ある者は剣を、ある者は魔法を、ある者は己の拳ひとつで戦う術を。
音無く、素早く駆けることもそれぞれに教えていた。
それだけではなく、詩歌や音楽、料理に製菓、文学、哲学…と、自分が得意とするものを子供に伝えた——己の子供のように。
どんなことも、子供は熱心に聞き入り、出来ないことは次に会うまでに練習でもしているのか、驚くほどの上達を見せる。
そんな子供を、可愛いと思わない筈がない。
だから、このパーティでも、彼らの中心には子供の姿があった。
子供が小さく笑えば、皆がどっと笑う。
お菓子にその小さな手が伸びれば、幾つもの皿が皆から差し出される。
子供のために音楽が奏でられ、歌が続く…日暮れ前、楽しい宴はあっという間に終わってしまった。
この後、夜勤に就く者たちは子供に手を振って去って行き、他の者も一人、また一人と家路についた。
「これ、おちびの好きな『キーグッド』の砂糖菓子な…ご飯の前は駄目だ、後で食べるんだぞ」
「うちの子も小さい頃読んだ本なんだ、面白いぞ」
…そんな言葉と共に、子供に贈り物を渡して。皆を送り、最後に残った彼と子供は、抱えきれないほどのお菓子や贈り物を愛馬の背に載せた。
彼は片手に手綱をとって馬を引き、もう片方の手に子供の手をとって、ゆっくりと小さな我が家へと向かったのである。

「楽しかったね」
と、子供は精一杯の感情を篭めて言う。
普通なら、おおよそ楽しそうに聞こえないその声だが、とても興奮し、はしゃいでいると、彼にはわかっていた。
いつに無く冷たい風も、分厚い灰色の雲が覆う空も、全く気にしていないよう。
むしろ荷物が多いために、彼とのんびり歩いて帰れる道行きを楽しんでいるようだった。
少し小高い丘まで上がる頃には真っ暗になっていたが、振り返れば曇って見えない空の代わりに地上が星の海になっていた。
——コーネリアの人々が松明を手に、祝祭前夜の街から北の神殿へと行進しているのだった。
老いも若きも、男も女も。貧富の差さえも、今は存在しない。
「あの光の一つひとつが、コーネリアに生きる人々だ…」
彼は子供に、王国を護る騎士団長としてあの輝きのどれ一つとして喪いたくないのだと話して聞かせた。
「わかるか」
と問えば、
「うん」
と深い頷き。良い子だ、と頭を撫でると、彼はひょい、と子供を肩へ乗せた。
子ども扱いすると拗ねる、とこの頃はすっかりしなくなった肩車であったが、今日は子供も浮き立った気分でいるのだろう。
高い、街がよく見える、と声をあげた。彼が駆け出せば、手綱を引かれなくとも馬が後を追う。
「わぁ…■ー■■■、…白い雨だ」
「何?」
綺麗、綺麗、と肩の上で子供がいつもより高い声をあげる。何のことかと足を止め——
「これは雪、だ」
「…ゆ、き?」
コーネリアでは、大陸南側にある海に暖流が流れていて冬でも比較的温暖、加えて城下では魔法の護りがあるために滅多に雪が降ることは無い。
だから、ここ数年でも特に冷え込んだこの年になって、漸く子供は初めて雪を見る機会に恵まれたのだった。
それ以前、記憶を失う前には雪を見たことがあるのだろうか、それは幸せなものだったのだろうか。つきっ、と痛む胸をよそに、子供は雪に手を伸ばして。
「…冷たい…あ、消えた…?」
掌に落ちる雪の冷たさに驚き、儚く溶けて無くなったのを不思議がる。
「一年、良い子にしていたから、聖コーネリウスがご褒美をくれたのだ」
そう言ってやると、
「■ー■■■も、良い子だったからね」
などと、大人が子どもに言うような口調で言う。
こいつ、と肩車したまま大きく跳躍して揺すってやれば、慌てて頭にしがみついて…また、子供が笑った。
楽しい帰途はあっという間、家について子供を肩から下ろし、馬を厩に入れて飼葉と水を与えてから中に入る。
そうする間も、ずっと子供は降りしきる雪と戯れていた。
下に落ちないようにと、一生懸命に手を動かしているのを見れば、まだまだ子どもらしく無邪気に見えて、彼は目を細くする。
「そろそろ、部屋に入ろう」
と声をかけると、子供は素直に頷いて彼の後に続いた。そうして。
「…みんなに手を差し伸べるのは、難しいね」
ぽつり、とそう言うのだった。はっとなった彼に、子供は続ける。
「■ー■■■がコーネリアの人たち、みんなを護るなら、僕が■ー■■■を護る。いつか…何かあったら、僕が救ってみせるからね」
その言葉に、彼は子供をぎゅう、と抱き締めた。

救ってみせるから——

小さな身体を擁いて床に入り、子供が寝入ってしまっても、彼は眠らずにずっと子供のこと、幼い誓いの言葉のことを考えている。
嬉しくてたまらないはずなのに、何故か酷い胸騒ぎがした。そんな彼の胸中をよそに、雪はただ静かに降り積もっていったのだった。




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