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異界の欠片が無数に漂う混沌の海で
一冊の本を発見しました
誰かの回想録のようですが
読みますか?










→[はい] [いいえ]



























 まず最初に、何故ぼくがこれを書いているのかを記しておこうと思う。
 ぼくが巻き込まれた問題があらかた片付いた後、あの人が何も書かれていないこの本をくれた。
「まだ、気持ちの整理がつかぬ事もあるだろう。何でもいい、書いてみろ」
 そう言って、あの人は笑った。ぼくはと言うと、ありがとうとかそういう言葉が浮かぶ事もなく、ただ「解った」としか言えなくて、後になって、これはあの人なりの気遣いだったんだなと気がついて、少し困ってしまった。
 とは言っても、ぼくはこういう事をした事がない。文字の読み書きはできるし、手紙を運んだりした事はあるけれど。自分の事について書き残す習慣もないし、手紙を書く相手なんていなかったから、仕方がないのかも知れない。
 まあ、それでもあの人の言う事だから、意味はあるのだろう。そんな訳で、ぼくは今こうやって本を開いている。
 まずは、自分の置かれている状況を明らかにするために、ぼくという人間がどういうものなのか、書き出してみよう。時間を見て、少しずつ書いていこうと思う。誰にも、気づかれないように。


(数ページ破り取られている)


 自分の事を書くのは、何だか恥ずかしい。名前とか、年齢とか、そういうものを書いては破り、何枚か無駄にしてしまった。
 このままだと、本の中身がなくなってしまいそうだ。
 だから、ぼくが生まれた街の事から書く事にする。
 それなら、少しは書いていけそうだ。

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 ぼくは、ガイアという街で生まれた。
 高い山の中腹、切り立った崖に囲まれて、普通の人間なら近付く事も出来ないような、そんな場所にある街。街と言うよりは、それ自体が独立した国だ。


 大長老から聞かされたガイアの由来は、こうだ。
 今から二百年前の話。●●●(特殊な文字で読めない)国を、突然地面から噴き上げた炎が襲った。大地の底深くに流れる溶岩があちこちで噴き出し、家を焼き、人の命を奪い、国を丸ごと飲み込んでしまったそうだ。その溶岩はとどまることを知らず、真っ黒な煙が空を覆い、太陽を隠してしまった。世界を覆い尽くすその煙によって、十年もの間冬が続き、多くの人が飢え死にしたという。
 溶岩は冷えて固まり、●●●国があった大陸の半分を覆うほどの巨大な山を作った。今ではグルグと呼ばれているその山は、●●●国の古い言葉で「紅い竜の宮殿」を意味するのだそうだ。
 四百年前の「風の災禍」から、ほぼ百年周期で繰り返された、四度の危機。「水の災禍」を経て「火の災禍」と呼ばれているその大災害を、ある一族が辛うじて生き延びる事が出来た。●●●国の王家に長く仕えていたその一族こそが、ガイアの始祖に当たる。
 彼らは北を目指した。大陸を離れ、海を越えて、険しい山を昇り、そうして今のガイアを作った。ある程度開けた場所と水が確保でき、四方を崖に囲まれた天然の要塞。そこなら溶岩も、煙も届かない。「火の災禍」に合わせるように増えた魔物さえ、あの断崖絶壁を超える事は出来なかった。
 百年後に「土の災禍」が起きても、ガイアにはほとんど影響がなかった。方々で大地が腐って毒の沼になり、農業が盛んだったメルモンドが滅亡寸前まで追い込まれるほど凶作が続いても、ガイアは変わらなかった。
 と言っても、ガイアは恵まれた楽園じゃない。水だけは十分にあったけれど、食べ物といったらほんの僅かで、芋や豆が少し採れるだけ。後は野生のヤギを捕まえて飼ったり、鳥を飼い慣らして獲物を狩らせたり。そうやって細々と暮しながら、一族は先祖の言い伝えを守り続けてきた。
 言い伝えについては、こんな感じだ。


 総本山たる……


(鋭利な刃物でページが破り取られている)


 ……掟に従い 生きよ


 親の顔は、覚えていない。子供は生まれてすぐに親から離されて、ひとつの場所で育てられる決まりだ。六歳の時、親が死んだと大長老に聞かされても、悲しいとは思わなかった。普通なら、泣くべき所なんだろうけれど。顔も覚えていないから、仕方ないのかも知れない。
 あの頃は、毎日が戦いだった。満足に食事を与えられない子供が、腹を満たすために食べ物をくすねる事さえ、指先技と隠密術を身につける為の訓練だった。取り合いになって殴り合う事は当たり前で、いつも怪我ばかりしていた。
 追跡の仕方、身の隠し方、壁の登り方。その他たくさんの試練を乗り越えられた子供だけが、次に進む事が出来た。
 ガイアの街は、切り立った山の上にある。その山を難なく超えられるだけの体力と技術が、ぼく達には求められていた。
 ガイアと下界の間を結ぶのは、一本の細い道だ。頼りになるのは崖に打ち込まれた木材や鎖で、ちょっとでも油断すると谷底に真っ逆さまだ。そうやって死んだものは少なくない。外の世界、あるいは一度もガイアを知る事なく終わる一族が大半だった。
 殴りつけるような強さで吹いてくる突風。集団で狩りを行い、獲物が足を滑らせて下に叩きつけられるまで攻撃してくる猛禽。指先が凍りつき、感覚を失わせるほどの寒さ。
 集中力が切れたら、待っているのは死だけだ。それでも、ぼく達はそれに挑んだ。何人かが途中で脱落し、不運にも二人ほど死んだけれど、ぼくは試練を乗り越える事が出来た。
 栄誉ある「忍」の誕生を、街の人は祝ってくれた。けれどもそれに喜びを感じる暇もなく、ぼくには最初の任務が告げられた。
 ガイアを下り、海を越え、コーネリアへ行くこと。コーネリア城下の支部に在籍して、命令を実行すること。
 拒否する理由も、意味も、ぼくにはなかった。どんなに理不尽な命令でも実行し、もし命じられれば自分の命も捨てるよう、ぼく達は訓練されていた。

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 山を下りて、港に着く。港と言っても、大きな船は入れない。潮が下がらないと入れない洞窟にある、ぼく達しか知らない港だ。
 そこから沖に出て、目指したのはプラポカだった。今のプラポカじゃなくて、ずっと昔「水の災禍」で津波に飲まれて消えてしまった、北にある古い方の港町だ。オンラクと交易があった頃に使われていた町は廃墟になり、もう埠頭しか残っていなかったけれど、ぼく達がコーネリアに行く時には便利のいい場所だった。
 コーネリアに入る事は、難しい事じゃない。巡礼者や行商に紛れて、幾らでも入り込める。変装をする必要だって、なかった。


 コーネリアは、初めて見る大きな街だった。話に聞くのと、実際に見るのとでは、全然違う。
 高い城壁に守られた街は、人も、建物も、何もかもがガイアとは正反対だった。色とりどりの壁や屋根を持つ家や、綺麗に舗装された石畳の道や、大きな噴水を囲む賑やかな広場。乾いた岩の色しかないぼくの故郷とは比べ物にならない。
 夢の都、美しきコーネリア。でも、それはほんの一部だけだと、ぼくはすぐに知った。


 裕福な人がいれば、当然貧しい人もいる。城から遠く離れた城壁にへばりつくようにして、そんな人達が住んでいる貧民区は、それはひどいものだった。
 違法に建物を建て増ししているから、昼間でもほとんど陽が差さない。迷路のような路地には、家も持たない人達が寝転がっている。あちこちから漂ってくる、鼻が曲がりそうな異臭は、汚物と死体の臭いだった。
 昼間から酒か薬に溺れた人が、へらへら笑いながらうろついている。ボロきれを身に付けた女や子供が、お金をちょうだいと後をついてきて、相手にされないと見ると悪態や石を投げつけて逃げる。案内役の仲間は何も言わず、しつこくついてくる女のひとの胸倉を掴んで突き飛ばした。ああいうのには、こうするしかないのだと言われた。
 こんな所に、まともな人間は近づかない。だから、ぼく達のような者が身を潜めるには都合がいい。ガイアの同胞、長い間街に潜伏している人達の隠れ家――ぼく達が『巣』と呼んでいる場所は、こうした貧民街のど真ん中にあった。


 支部長は、大長老と同じくらいの老人だった。ぱっと見は人のよさそうな顔だけど、よくよく目を見たらそんな事は言えなくなるような人だ。
「新しい『鴉』だね。話は聞いている」
 『鴉』というのは、ぼく達の間で特別な意味を持つ。ガイアから下界、下界からガイアに行く能力を持つ、名誉ある高位の「忍」だ。
 その称号が、ぼくのような子供に与えられた事に対して、支部の仲間達は疑いの目を向けていたと思う。その疑問を解くには、結局のところ任務で答えを示すしかない。
「この街について事前に学んでおるか? よろしい、結構」
 そこでぼくは、『梟』――情報収集を専門とする忍によってまとめられた文書を見せられた。相手の名前、職業、地位、容姿の特徴、普段の行動。そして、相手を『始末』するに値する罪の詳細。
 支配者の立場からは裁けないものを、一族の掟に従い、排除する理由を読み返して、ぼくは頷いた。


 最初の任務は、とても簡単だった。
 人でごった返す市場で、標的の男と擦れ違い様に針を一刺しする。たったそれだけ。そんな簡単な事で、人は死ぬのだ。
 刺された瞬間、男は小さく呻いた。針は細く、刺し傷は浅い。でも、それで十分だ。後ろを歩いている護衛が異変に気づいた頃には、ぼくは人混みに紛れている。
 数歩進んで立ち止まった男が、喉に手を当てる。息が出来なくなり、胸を掻き毟る。開いた口から涎を垂れ流して、その場に膝をつく。
 人々が悲鳴を上げて遠のく。あわてて介抱しようとする護衛。でも、助からない。毒の効き目はとても速い。それに、よほど目のいい医者じゃない限り、卒中のせいにして片づけてしまうだろう。
 わっと叫びが上がる。警備兵が駆けつける。誰か見たものはいないかと怒鳴るけれど、誰も名乗りなんて上げる訳がない。
 それを見届けて、ぼくはその場を離れた。逃げようとする人達を片っ端から捕まえている警備兵の横を、擦り抜けて。
 誰も思わないだろう。子供が、人を殺すなんて。実際、警備兵達の視線は、誰もぼくに向いていなかった。
 初めての任務は、こうして終わった。

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 その後何件か、ぼくは同じような任務をこなした。
 勿論、殺しだけじゃない。スリや盗みといった仕事は、それ以上に数が多かった。指先の鍛錬にもなるから、その手の仕事は嫌いじゃないし、正直今でも、時々――と、こんな事をあの人に言ったら、眉を顰められるだろうか。
 ともあれ支部長はご機嫌で、ぼくが任務を見事にこなしている事を大長老に伝え、折り返しにお褒めの言葉を手紙で頂きもした。
 その合間に、ぼくがやる事は沢山あった。街を実際に歩いて回り、あらゆる知識を仕入れなければいけない。地理、政情、人物、噂、流行、この「夢の都」に関して、何から何まで。
 その中で城に近づく機会も、何度かあった。名高き白亜の王城、聖賢の宮居を一目見る為に訪れる人は、国の内外を問わず後を絶たない。運が良ければ、巡察に出る王族や大臣の姿を見る事も出来る。
 そしてぼくがあの人を初めて見たのは、その頃だ。沢山の護衛を引き連れた国王が、聖コーネリウスの名を頂く教会に向かう列の中に、あの人はいた。
 黒く大きな馬にまたがった、銀色の鎧姿。王の乗る馬車の傍らから離れず、歓呼の声の中を堂々として進む。あれが騎士■長の■ー■ンド(虫食いで読めない)様だよと、傍にいた男が巡礼相手に聞かれもしない解説をしていた。
 今にして思えば、一方的な出会いだ。その頃は特別に思う事もなかったし、関わり合いになる事もないだろうと、その時のぼくは思っていた。


 コーネリアに着任してから、一年が過ぎた頃だ。
 呼び出しを受けて『巣』に向かうと、知っている顔が揃っていた。皆怖い顔をして、ぼくを見ている。
「任務だ」
 支部長の声が掠れていたけど、聞きなれた言葉だ。いつもの事じゃないか、と僕は思った。
「今回の任務は、これまでになく困難である」
 そう言って支部長は『梟』を招いて、文書をぼくに渡す。
 そこに書いてある内容は、いつも通り。唯一、罪状だけが黒く塗り潰されている。
 けど、それとは全く別の所で、ぼくは驚いた。だってそこに書かれていた名前は、この国の人間なら知らない人はいない名前だったから。
 この国の頂点に立つ人。名君の誉れも高き、コーネリア国王、その人だった。
「やれるか」
 そう聞かれても、ぼくができる返事は「はい」しかない。
 どんなに理不尽で、納得がいかない内容だったとしても、ぼくはそう言う以外に、選択肢を持っていなかった。
 今はそうじゃないけれど、でも、あの時はそうだったんだ。


 王の命を狙うにしても、外出する時は警戒が厳重すぎて近づけない。前にぼくが見た通りに。
 城仕えの人間に成り済まして城内に入れたとしても、王の傍には常に近衛がついている。多忙な王は、玉座のある謁見の間や会議の間、王族の居室の行き来をする程度で、その間一人になる時間も、場所もない。ただひとつ、寝室を除いて。
 それが、唯一の狙い目だった。勿論、簡単な事じゃない。
 表の扉は不寝番がついているだろうし、中庭に面した物見櫓や監視塔にも見張りは立っている。夜通し焚かれる篝火は、闇に紛れて移動する事を難しくする。城のほぼ全域では巡回が続けられていて、入り込める余地も、気づかれずに移動する隙も少なすぎる。
 それでも、やらなければならなかった。
 そんなぼくに、支部長は仮面を差し出した。真っ黒に塗られていて、目の部分が開いている。翼を広げる鳥のようにも、微笑む美しい女のようにも見えた。
 でもそれは、ガイアにとっては大きな意味を持つ仮面だ。
「万が一の時は、躊躇なく行え」


 仮面は、顔を隠すためのものだ。特にぼく達のように、顔を知られてはならないものにとっては。
 最悪の場合――任務が失敗に終わり、追い詰められた時には、この仮面に仕込まれた仕掛けを発動させなければならない。付与された「火」の術は、仮面の下の顔を綺麗に焼き潰してくれるだろう。自ら断つ、命と一緒に。
 これをつけるという事は、それだけ重要な任務であるという事だ。過去、顔を焼き潰して自害した『鴉』の中に、加わるような失態は冒したくなかった。

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 渋色の忍装束に、二振りの小太刀。それと、幾つかの暗器が、ぼくの武器だった。
 最初の潜入は、城から出るごみを、水路を使って運搬する船を利用した。船頭を買収して入れ替わった仲間の手引きで、まず城の地下に入り込む事に成功する。
 集まるものの性質上、船着場はひどい臭いが籠っていた。ろくに換気もされない、じめじめと暗い場所だ。人夫達は皆口から下を布で覆い、台所から出たゴミや、厠から回収した汚物を積んでゆく。この場所柄のせいもあってか、ここだけ警備がついていないのには呆れてしまった。
 そんな穴をついて、地下から地上に抜け出し、見張りの配置を確認しながら慎重に進む。流石に警備は固かったけれど、わざわざ廊下を歩く不審者なんている筈もない。天井、柱、屋根を這い進み、ぼくはいくつもの警戒網を突破した。
 本当は、排除しづらい見張りを始末すれば、難易度は少しは下がっただろう。でも見張りを殺せば、見つかった時に騒ぎになる。殺す事はあってはならないと、あの指令にはあった。
 確かに、短い間に何度も巡回が行われる中では、死体(あるいは、気絶した姿?)を見つけられると色々と困る。注意を逸らす事は出来る反面、一気に警戒が強まるからだ。随分骨が折れたけれど、ぼくは中庭を見下ろす物見櫓まで辿り着いた。
 そこに配置された人数を確認して、ぼくは吹き矢を準備した。最初の任務で使った毒と違い、仕込んだのは痺れ薬だ。命に別条はないけれど、一度当たるとそのまま身動きできなくなり、小半時はそのままになる。立ったまま動けなくなるだけだから、近づいて異変に気付かない限りは、騒ぎになる可能性は低い。
 死角になっている場所から櫓をよじ登り、ぼくは一人一人仕留めていった。声も出せずに目をぎょろつかせてこっちを睨んでいる見張りを残して、王の寝室の露台に降り立つ。
 ここまでは順調だった。そう、順調すぎたんだ。


 飾り窓の硝子を切り外して、灯の落とされた寝室に入り込む。
 天蓋つきの寝台や安楽椅子、書物机、綾綴りの壁掛け。室内に置かれた調度品は、確かに王の寝室に相応しいものだった。それらのおぼろな輪郭を確認しながら、ぼくは静かに寝台に近づいた。
 腰に差した小太刀をそっと引き抜いて、柔らかな羽毛の布団に手をかけた、その時だった。
「暗殺者か」
 落ち着いた声に、ぼくは手を止めた。心臓が跳ね上がる。
「騒ぎにはなっておらぬか。見事な腕前である」
 この状況が解っている筈なのに、悲鳴を上げる事もしない。ぼくでは自分を殺す事が出来ない、それを知っているような、そんな口ぶりだった。
「ここまでのものとはな。……で、あろう?」


 王が、名前を呼んだ。
 それは、ぼくにも聞き覚えのある名前だった。


 ぼくは、小太刀をふるった。自分の後ろに向き直って、今、名前を呼ばれた相手に向かって。でも、気づくのが遅すぎた。
 大きな手が、ぼくの腕を押さえていた。ものすごい力で手首を握られて、手から武器が落ちる。蹴り上げて逃げようとしたけれど、組み伏せられてしまった。
 赤子をひねるように、なんて言葉があるけれど、まさにその通りだ。
「……動くな」
 息も切らさずに、静かにそう言われる。とても穏やかな声だった。
 動くも何も、動く事なんて出来ない。そんなぼくの目の前に、ベッドから抜け出した王が立つ。
「そう手荒な真似をするでない」
「しかし、陛下の命を狙いました」
「余の命を欲しがるものは、少なくない。どのような理由があっての事かは知らぬが……」
 その言葉で、やっとぼくは、気がついた。馬鹿みたいに、忘れていた。
 ぼくがガイアの者だと、知られてはいけない。仲間に、一族に、危険を及ぼす訳にはいかない。絶対に。
 そう思った瞬間、ぼくは迷いなく仮面の仕掛けを発動させた。


 今だから言えるけど、あれはもう二度としたくない。先に知らなくて良かったと、本当に思う。というか、あんなものを考えた奴は間違いなく頭がおかしい。
 後から散々文句を言ったら、皆に大笑いされた。長き歴史の中で、そんな事を言ったのはお前くらいなものだとか。自分の顔を焼いた事のない人には、言われたくない。
 とにかくあれは、もう嫌だ。最低だった。
 熱いとか痛いとか、そんなものじゃなかった。自分の顔が音を立てて焼けていく臭いが、鼻につく。
 誰かの叫び声がして、仮面が外れた。というより、引き剥がされた。ついでに、焼けた肉まで一緒に持って行かれた。がしゃがしゃと走り回る足音がしたけど、頭ががんがんして音がものすごく遠い。熱にやられて、何も見えない。
 舌を噛むより前に、口に指を突っ込まれた。太い指に思い切り噛みついたけど、それ以上は顎に力が入らない。
 ぼくが覚えているのは、そこまでだ。

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 次に目を開けた時、当たり前だけどぼくは捕まっていた。
 意外だったのは、そこが牢屋じゃなかったという事だ。明るい石造りの部屋で、普通に柔らかい寝台に寝かされていた。
「お。目ェ覚めた? おはようさん」
 脇に置かれた椅子に座って、そんな事を言ってきた人がいる。今ではすっかり馴染みの顔に、強烈なメルモンド訛り。白に赤い模様が入った長衣は、癒しの術を使う魔術士の証だ。
 声を上げようとしたけど、出来なかった。ご丁寧に猿轡を噛まされている上に、何かの術でもかけられたのか、身体が全然動かなかった。
「堪忍な。目ェ覚めていきなり自殺されたら、寝覚め悪いもん。ちっと待ってな」
 ちっともすまなさそうにそんな事を言って、あいつは立ち上がった。ぺたぺたと布靴の間抜けな足音をさせながら、ぼくの視界から消える。首は動かせなかったけれど、扉が開け閉めされる音と気配で、出て行ったのだと解った。


 ああそうか、ぼくは死ねなかったのか。
 しかも今は、自分で自分の命を絶つ事も出来ない。何て無様な、生き恥を晒しているんだろう。
 その時ぼくが考えていたのは、そういう事ばかりだった。だから、もう一度扉が開いて、今度は二人が入ってくるまで、どれくらい時間がかかったのかも覚えていない。


 非番だったんだろうか、あの人は鎧を着ていなかった。後ろにあいつを従えて、ぼくの顔を覗き込んでくる。そして大きな手を伸ばしてきたから、殴られるものだとばかり思ってぼくは歯を食いしばった。
 あの人にとって、国王は守るべき対象だ。その命を狙った相手に、拳の一つでも浴びせなければ気が済まないだろう。でも、代わりにあの人がやったのは、ぼくの頭を軽く叩いて、髪を撫でる事だった。
「驚いたぞ、自分で自分の顔を焼くなど。酷い事をさせるものだ」
 何だか複雑な表情だった。だけど、害意は感じられない。手が猿轡にかかり、外そうとした所で止まった。
「今からこれを外してやる。だがその前に言っておくぞ」
 そして、あの人はさらりと恐ろしい事を口にした。
「舌を噛んで死のうとしても、無駄だ。後ろにいるのが、見えるだろう? あれはああ見えて優秀な腕前でな」
「ああ見えて、て……失礼やなあ!」
 後ろでぴょんぴょん飛び跳ねながら抗議しているのを余所に、あの人は真剣な表情だった。そして、こうも言った。
「すぐに元通りにさせる。火傷も、綺麗に治させてもらった」
 つまり、この時点で素顔はバレているという事だ。と言っても、それはまだ重要な事ではない。自害に失敗したぼくの口封じに、仲間がやってきてくれればいいが、この状況では望むべくもない。
 それよりも、そんな事よりも、もっと大変な問題がある。それを、あの人は静かに、こう宣言した。
「だから、死んで秘密を守ろうとしても無意味だ。……解ったな」


 残念ながら当時、ぼくはあの人の言葉を全く逆に受け止めていた。
 自殺を許さないのは、この後拷問にかけるつもりなんだろう。活かさず殺さず、苦痛の限りを味わわせ、情報をこの口から引き摺り出したいのだろう。ぼくが知る限りの拷問術を思い出して、あの時はぞっとした。
 ぼくとガイアの繋がり、全ての同胞の正体、全部呑み込んで死ぬしかないのに、あの人はそれを許さないと言う。
 猿轡が外されても、ぼくは一言も喋らなかった。喋る気力もなかったし、喋ってやるもんかとさえ思っていた。
 そんなぼくが出来る抵抗なんて、つまらないものだった。あの人達が存在しないように振る舞おう。何を話しかけられても、その言葉さえ記憶する事を拒もう。何処まで耐えられるか、まるで解らなかったけれど。
 ずっとそうしていると、ふっと溜息が聞こえて、あの人が立ち上がった。いろいろぼくに尋ねていたけれど、無駄だと気付いたんだろう。
 その後、あいつと言葉を交わしていたけれど、不思議とその最後の言葉だけは、今でも残っている。
「……と、世話をしてやれ」
 少し疲れた、でも優しい声だった。

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 こうして、奇妙な囚われの時間が続いた。
 後で聞いてみたら、大体一月ほどだったらしい。短かったような気もするけれど、周囲はやきもきしていたみたいだ。
 あの後、呪文ひとつで束縛は解かれたけれど、ぼくは抵抗しなかった。その代わり、訪ねてくる人を全て拒否していた。出される食事も水も拒んでいたら、いきなり呪文をかけられて身動き出来なくなった所に、鼻をつままれて口に管を突っ込まれて、苦いを通り越して痛いと思えるくらい、ひどい味のする薬を飲まされた。
「折角うまいもん作っとんのに」
 ぶつぶつ言いながら、ぼくの目の前で『うまいもん』――あれは粥だったと思う――を平らげるあいつに、いつか仕返ししてやろうと誓いを立てた。もっとも、今に至るまで、それは叶っていない。
 ――そうだ、思い出した。
 見張りと称してちょくちょくやってきていたあいつは、ぼくの目の前であれやこれや見せびらかしては食べていた。それまでのぼくにはおよそ無縁だった、やたらと手の込んだ菓子がほとんどだった。
 ぼくの食欲をそそりたかったのか、あるいは自分が食べたかったのか(多分理由の大半は後者だろう)「あー勿体ないなーおいしいのにー」と、変な節をつけて歌いながら、よくもまあ入るものだと呆れるくらい、ばくばくと。
 美味そうに菓子を食べるか、茶を飲むか、本を読むか、どうでもいい事をべらべら喋るか。本を読む時だけは口を噤むから、その間は気が楽だった。


 次に、ぼくを訪ねてきたのが、同じくらいつきあいの長い奴だ。
 最初見た時は、何でオーガがこんな所にいるんだと思った。失礼な話だけど、冗談抜きでそう思った。こんな事を本人に言ったら、また落ち込まれるだろう。
 まあ、知らない人が見たら警戒するか、気の弱い女子供なら謝るか泣くか失神するかだと思う。何せ、あの人を超える体格にあの強面だ。話してみると、全然そうじゃないんだけれど。
 出会いは、今でも覚えている。何しろあの強面が、窮屈そうに身を屈めて、狭い部屋に入ってきたのだから。しかもその手には、まるで似合わないぬいぐるみを持っていたんだから、流石にぼくも一瞬視線が泳いだ。
 あいつと二言三言言葉を交わした後、ぼくはそのぬいぐるみを渡された。といっても受け取る為の手を動かす事さえしなかったから、枕元にぽんと置かれた格好で。
 後で聞いてみたら「見舞いに持っていくものといっても、何がいいのか解らなくて、店の人に聞いたらこれを勧められた」から選んだらしい。白くてふかふかして、背中に小さな羽があって、頭に赤い綿毛が生えた不思議ないきもの。
 そのぬいぐるみを奪い取って抱えたあいつが、頭の天辺から出るような裏声を使って色々話しかけてきて、ちょっと危なかった。そんなつまらない事で、閉じていた意識が揺れそうになった。
 二人とも、心配してくれていた。それは確かだ。でも、そんな事でどうにかなる状況じゃなかった。あの時は、本当に必死だったから。
 ぼくはいつ、拷問部屋に連れて行かれるんだろう。いつ、拷問されるんだろう。いつ、殺されるんだろう。どうやって、どれくらい、どんな事を?
 覚悟は決めていたけれど、身体も心も限界に近づいていた。何しろ、そんなものが始まる気配は何処にもなくて、馬鹿なぼくは一人で存在しない敵と相対していたんだから。薬も食事も、そんな他愛ない気散じも、届かないくらい。
 でも、幸いそれは長く続かなかった。


 また、あの人がやって来た。今度はあの鎧を身に纏っていたから、また印象が変わる。
 寝台に横になったままのぼくを見下ろしてため息をついてから、例の二人に、ぼくを連行するように言う。
 何だ、やっと始めるのか。
 そう思ったぼくは、変に安心した。きっと死刑囚も、こんな気持ちになるんだろう。自分の足で立つ力はまだ残っていたから、手を貸そうとするのを振り切って、ぼくは立ち上がる。何ひとつ拘束されなかったけれど、もし隙があったら精一杯抵抗してやろうと、その時ぼくは思っていた。実際に、隙なんて何処にもなかったけれど。
 初めて扉をくぐり、ぼく達は狭い階段を上がる。出た先の空間は広々としていて、あの日潜入した城内の一角、騎士団の屯所がある翼棟だと理解した。
 通路のあちこちで、青い鎧を身に纏った騎士が警備に当たっていた。さっと敬礼するのを横目に、ぼく達は奥へと進む。突き当たりにある重厚な扉の前にも警備が置かれていて、ひどくものものしい雰囲気だった。
 拷問するなら地下が相場だろうに。ぼくはそんな事を、まるで他人事のように考えていた。控えの間を置いて、もうひとつ扉が開かれる。
 そして、ぼくは背中を押されるように部屋の中に足を踏み入れる。そこで、思いがけない顔と対面する事になった。


 夢でも見ているんじゃないか、とぼくは思った。
 部屋の丁度は、質素だけれども重厚なものだった。いや、そんな事はどうでもいい。立派な造りのソファに腰かけて茶を飲んでいたのは、忘れもしない、支部長と――ガイアにいる筈の、大長老だったんだから。
 絶対に、こんな所にいる筈のない二人が肩を揃えて、それはそれはのんびりと、茶を飲んでいた。囚われている様子では、決してない。でも、その意味が解らない。
 予想だにしなかった光景に、口から魂が抜けそうになった。
「だいぶやつれたのう」
 そんな事を言って、大長老が笑う。
 意地の悪い、食えない、けれども誇らしげな笑顔だった。

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 ここから、実は記憶がかなり飛んでいる。
 以下は、後から聞き直したり、辛うじて覚えている断片の寄せ集めだ。
 あの時は半分飛びかけた意識ではあったけれども、あの人が説明してくれた……ように思う。

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 まずガイアは、最初から国王の命を狙っていた訳ではないという事。
 任務と言ってぼくを差し向けたのは、ガイアがどれ程の実力を持っているのか、それを示す為の行動だった事。
 あの日、城内の警備態勢が強化されていたのは、最初から「何時、ガイアから遣わされた忍が国王の許を訪れるのか」を、警備を担当する近衛に知らされていたからなのだ。全力をもって警護に当たっていた中を、ぼくは突破して王の足元にまで辿り着いた事になる。死人を作るなというのは、つまりそういう意味だったのだ。
 そして、今回の件を通じて、ガイアの実力は示された。二度の災禍――「火」と「土」の災禍を逃れ、続いてきたガイア。それが、二百年ぶりに協力関係を国家に――つまりコーネリアに求めたのだ。臣下ではなく、対等な関係として。
 その辺りの詳しい事情を、大長老は決して語らなかった。それでも、ぼくは薄々理解している。


 約百年前、「土の災禍」は過ぎ去った。そして今、百年が過ぎ、周期を迎えて再び災禍が訪れるのではないかという予想――それは、決して杞憂で終わる事じゃない。
 世界を守る四つの「力」の反転は、四度の災禍として伝えられている。その次に訪れるだろうと予測される、未知の災いの噂を、ぼくは至る所で耳にした。世界の終焉を叫ぶ自称預言者から、星を読み風と語らう学者、果ては酒場の談笑や井戸端会議にさえ、徐々に「それ」は現れ、世界に広がりつつある。今は、そんな暗い時代だ。
 それに対し、ガイアの民が成すべき使命について、ここに書き残す事は出来ない(最初に少し書いたけれども、破り捨ててしまった――万が一という事もあるから)。でも、周辺の国家の情勢を見る限り、最も大きな力を持つコーネリアこそ、この同盟を結ぶには最上の相手なのだと、ぼくは思う。ぼくのような、者でさえ。


 この同盟にあたり、大長老はガイアを自らの足で下り、直接国王に謁見した。他にも各地の支部から『鴉』を集め、大国に対して怖じる事もなく、堂々と。ただし、秘密裏に。
 それまで、ガイアは為政者にとっては「ならず者」でしかなかっただろう。法を犯して暗殺を行うという点で、ぼく達は間違いなく異端者、犯罪者だ。どんな理由があろうとも。その辺りは、立場によって解釈が常に変わるから、善悪を論じる事にさほどの意味はない。それ以上突き詰めると哲学になってしまうだろう。
 ともあれ同盟は結ばれ、ガイアは、コーネリアと手を組んだ。コーネリアという大きな存在を後ろ盾にした上で、ぼく達は掟に従い動く。そしてぼくが見せた実力以上のものをもって、彼らの望みを――主に情報収集、必要な時はしかるべき仕事によって叶える事で、対価とする。
 こういうのを何と言うんだろう。あいつは確か難しい顔をして「ふふてえ・ふふてえ」なんて言っていたっけ。……やっぱりメルモンドの言葉は、解りづらい。


 つまり、ぼくが知らない間に何もかもが終わっていたという訳だ。そして、ぼく自身が試されていたという事でもある。
 これ程の状況に置かれても、ぼくは秘密を自ら口にする事はなかった。命乞いもせず、いざという時にはその身を捨てる事に何のためらいも持たない、そういった「忍」の有り様を、王都の支配者達は見せつけられた事になる。
 それについて、ぼくが文句を言える立場にある訳じゃない。ないんだけれども、……納得できる訳でもなくて。
 気が付いたら、気絶していた。気が抜けて、糸がぷつんと切れてしまったせいで。気力も体力も限界を迎えていた所にそんな事を知らされたものだから、今度は一週間ほど、本当に寝込む羽目になった。あとで散々大長老と支部長、それに仲間が詫びてくれたけれども、出来るものなら(出来る訳がないけど)一発殴りたかった。

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 こうして、ぼくとぼくを包む世界は変わった。ほんの少しだけ。
 手始めに、コーネリアの支部は移転した。貧民区から商業区に移り、表向きは騎士団の御用商人として、自由に出入りを許される。真の正体については、国王、一部の重臣、それに騎士団の上層部しか知らない事だ。
 各地の支部も、その役割をほんの少し変えて、活動の大半を占めていた諜報活動のうち何割かは、コーネリアの国益に結びつく任務に変わった。大国の地位を憂慮する地方の豪族や一部の宗教者、きな臭い動きを見せる犯罪者の洗い出しに、ぼく達一族は力を注ぐ事になった。


 ぼくはと言うと、……あいつに言わせると「だいぶ変わった」らしい。
 ガイア以外の人間と接触する機会なんてなかったから、最初は戸惑いもあった。相変わらずコーネリアで任務について、騎士団に出入りする内に変わったらしいけれど、よく解らない。
 でも、ひとつ胸を張って言える変化はある。足掛け二年で、あいつの身長を追い抜かした事だ。最初は自分より身長が低いからとじゃれつかれたりしたけれど、今はもう違う。これは、ちょっとだけ嬉しい変化だ。
 あの人は、そんなぼくを何かと気遣ってくれた。自分の言葉が変に誤解されたせいで、暫く話がこじれたのが気にかかっているんだそうだ。
 優しくされるのは初めてだったから、何だか恥ずかしかった。あの日、ぼくにかけてくれた言葉の大半を覚えようともしなかったのが、少し、いや、だいぶ悔しい。


 そう言えば、近々あの人は騎士団を再編するらしい。新たに部隊を編成して、より強固な存在にしようと考えているようで、かつては貴族によって形骸化しかけていた騎士団を、実力本位の登用によって大幅な改革を行おうとしている。
 その中に、ガイアも――そしてぼくも組み込まれる事になっている。ぼくらは騎士なんて柄ではないけれど、実力を最大限活かせるように特化した部隊に配属されるようだ。皆でその計画案を見た時は、何だかどきどきした。


 ガイアの為なら命を捨てる事に躊躇いはない。それは、今も変わらない。何処にいても、僕は『鴉』であり、ガイアの忍だ。でも、もう一つ、命を捨てても構わないと思えるものが出来た。


 ぼくは多分、あの人の事が好きなのだ。そんな気持ちを持つなんて、昔のぼくは思ってもみなかった。
 好きという気持ちをどう表現していいか解らないのが、今一番の悩みだ。そんなつまらない事で悩める自分が、少しおかしい。死ぬ事だけを真剣に考えて鬱々としていたあの頃が、まるで嘘みたいだ。


 あの人が、ぼくを変えてくれた。おかげでぼくは、ガイア以外の世界を知る事が出来た。
 あいつらと一緒に、笑う事が出来るようになった。
 だからぼくは、幸せだ。できる事なら、ずっと皆で










(本の後半は黒焦げになっている)





(火にくべられたのか、酷く破損していて読めない)





(裏表紙に、辛うじて焼け残った部分がある)





(ちょうど、何かの形に見える)





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(女のような、蛇のような化け物が、六本の腕を広げているような――)













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